強制オールリセット

*これは、ただのわたしの備忘録です。が、2026年5月からの数ヶ月の軌跡の序章です。

半世紀は反省期なのか

50歳の誕生日の目前から体調が悪い。こんなはずではなかった50歳。

日に日に自分の肌が黄色くなっていくのがわかる。

そういえばもう半年近く、まともに食べられなくなっていた。

でも、そんなことは良いとして5/12から自分史上最強の挑戦が始まろうとしているのに。

今倒れるわけにいかない。
今入院するわけにいかない。

でも、5/6の誕生日、お祝いメッセージが届くも、返信できないほどの体調不良。

それでも、5/8に群馬から神奈川の自宅まで気力だけで運転して帰宅。

黄色い人

その後は、娘とバディに自宅で看病されながら数日。

そして自分史上最強の挑戦が始まる前に、絶不調の前日「熱があって、明日の開始日に出社できません。」と連絡。医師からの診断結果が欲しいと、それは当たり前だ。

しぶしぶ病院を予約午後3時頃だったかな、もう階段登るのも厳しい体力でタクシーでバディと病院へ。

意外と遠かった。

結局その病院では、治療できないと言われ、紹介状を書いてもらい夕方に大学病院へ。

大学病院へ向かうタクシーの中で、体の右側と顔に痺れ。

女性のタクシードライバーに心配される。

それはそうだ。
黄色い人が病院から紹介状を持って大学病院へ連れて行って欲しいというんだから。

本来なら救急車で運ばれるところをタクシー呼んだ感じ。対応ありがとうございます。

長い夜

大学病院についたら、ドライバーさんが車椅子を持ってきてくれた。

そこからはずっと車椅子での移動、バディが受付やら手続きをする、何度か呼ばれる。

採血したり、問診したり、待ってる間はトイレに行ったり、長椅子か車椅子で寝る寝る寝る。

何時間も夜間外来の廊下で待つ。警察官も2、3度やってきていたいろいろあるんだなぁと思いながら。
何時になっても帰って良いとか言われない、何時かもわたしはわからない。

ただただ寝る、水分補給、トイレの繰り返し。

病室が空いていないとかで簡易ベットが置いてあるところに、バディもそこで寝て良いと言われて仮眠。

朝方バディが帰宅した、その後の記憶は曖昧で気づいたら2万円の個室に入っていた。サイン書いたから記憶にある。でもすぐに血圧が低すぎてその個室からERへ、心臓が動いているのが不思議なほどの貧血の値だったらしい輸血もし続けた。

医師との意思の相違

わたしは過去に何度も治療を途中でボイコットしている。

その情報が、今までの福岡の病院から診察経過等と共に届いたようだ。

わたしも、もう薬を使用した治療はしたくない。
理由は、薬の副作用がつらいから。

そこからは、数日主治医との治療方針の相違と話し合い。

「薬での治療をしなければ生きてられるのは数日か1ヶ月か、、」

と、何度も死にかけてるわたし。


もういいじゃない!と思う。

そこまでして生きて何がある?

体調悪くずっと寝たい状況。

ひっきりなしにいろいろな医師や関係者が来る。。。

最終的に、三つの課の担当医と一緒に話し合い。

わたしの希望。

早く退院したい。
薬を控えたい。

というところで、年輩の担当医から免疫抑制剤の点滴を4回行うことで薬の量を減らして治療をするということで折れた。

でもさ。

蓋を開けたら、え?って言うほどの薬の種類。

しかも、どんどん増えていく。

「わたし、この薬飲みません。」

と断った。

職場ではなく病室

わたしは新しい職場で50歳にして挑戦する予定だった。

結局、職場ではなく病室で過ごすことになり、またいつ社会復帰可能かわからないため就職は辞退することになった。

きっとこれも意味があるのだと。

昨年末に企業を退職した。その時に独立しようと退職したのに、ゆるゆると過ごしていた。

雇用されると言う楽な道を選択したけど、結局は違ったのだろう。

強制オールリセット

ということで、わたしは職を失った。

そして、入院前からの不調と入院中に体力も失った。

思うように動けない。階段が上れない。荷物は持てない。力が出ない。トイレもシャワーも家の中では介助が必要になった。

ここまでになったのは、今回初めてだ。

文字通り、強制オールリセット。

ゼロになった。
マイナスになる場合は死を意味する。
そう考えると、今からはプラスしかないってこと。

おすすめの記事